「100日後に死ぬワニ」から考えさせられる死生観

Twitterで話題の「100日後に死ぬワニ」が最終回を迎えました。

タイトルの通り、主人公のワニくんが100日後に死ぬという話です。

100日前よりツイッターで連載が開始され、毎日1話ずつ更新されていました。

最終回では「ワニくん」がツイッターのトレンドワード世界一位を獲得する等、大反響を巻き起こしました。

生き方、死生観について考えさせられる作品だったので私の実体験をもとに感想を述べていきます。

「100日後に死ぬワニ」の作風

「100日後に死ぬワニ」は作者のきくちゆうきさんのTwitterアカウント上で100日間、毎日1話ずつ公開されていた4コマ漫画です。

マンガでは普通考えられない、最初からオチ(最終回でワニが死ぬこと)がわかった上で物語が進行するというのが特徴の作品です。

読者は主人公が100日後に死ぬことがわかっているのに、マンガの主人公やその仲間たちは主人公が100日後に死ぬことを知らずに生きています。

読者は、もうすぐ死んでしまうワニくんに対して何もしてあげられないもどかしさを抱きながら、1日1日を見守ることになります。

全100話をまとめると、1~99日目は特に何も起きず平穏な日々を送り、100日目(最終話)にワニくんが交通事故で突然亡くなるという話です。

よくあるドラマなんかは、出来事や登場人物の感情がジェットコースターのように目まぐるしく変化していって感情移入させるようにできています。

起承転結をつけることで心が揺さぶられるわけです。

ただ、ドラマの世界のような波乱万丈な人生を歩む人ってそんなにいないですよね?

「100日後に死ぬワニ」は誰にでも当てはまるような、ごく普通の日常が描かれています。

日常生活で特に大きな感動があるわけではないが、仲良くしていた身近な友人が、ある日突然死ぬということは誰にでも起こりうることです。

病気で余命を宣告されたわけでもなく、ごく普通の生活を送っている中であえて死を意識することで、普段からどう生きていけばいいのか?ということを考えさせられる作品でした。

「100日後に死ぬワニ」は作者の実体験がもとに作られた?

作者のきくちゆうきさんのことは「100日後に死ぬワニ」が話題になるまで知りませんでした。

くわしいことは知りませんが、きくちさんの公式サイトのプロフィールを見てみると

20歳の時に友達が事故に遭い亡くなったことが記されていました。

この経験があったから、「100日後に死ぬワニ」という作品が生まれたのではないかと勝手に解釈しています。

私の身の回りで起きた突然の死

私の身の回りでもワニくんのような事故による突然死を迎えた人がいます。

それは友達の弟のナオくんです。

当時私は中学生で、ナオくんは小学校低学年でした。

近所に住んでいて仲の良い友達の弟だったので、幼少期からよく一緒に遊んでいました。

幼少期はドラえもんの目覚まし時計が好きで

ドラえもんが歌う

「朝です♪ 朝です♪ 朝ですよ♪ 朝です♪ 朝です♪ 起きましょう♪」

というメロディーにあわせて嬉しそうに一緒に歌っていた光景を今でも鮮明に覚えています。

そんな可愛らしいナオくんですが、死はある日突然訪れました。

スイミングスクールに通っていたナオくんはスクールバスで通っていました。

いつものようにバスでスイミングスクールに通い、いつものようにスイミングスクールで家の近くの通りに着きました。

スクールバスから降りると信号のない横断歩道の向こう側にお母さんが待っています。

お母さんのもとへ嬉しそうに横断歩道を渡ろうとしたその時でした。

車が来ていることに気付かず、ナオくんは母親の前で車に轢かれしまったのです。

ナオくんはそのまま帰らぬ人となってしまいました。

ナオくんの死後は横断歩道の手前に長い間花束が添えられ、その後、再発防止のために、歩道用の信号機が設置されました。

今でも実家に帰ると、その道を通るので、通るたびにナオくんのことを思いだします。

人は皆いずれ死ぬ

自分の死や大切な人の死というのは考えたくないですが、早かれ遅かれ人は皆、死にます。

「100日後に死ぬワニ」は死を意識させることで、何気ない日常のできごとに大きな意味を持たせていました。

例えば、16日目の映画館の話。

ワニくんは映画の内容ががおもしろかったので次回作も見たい!と胸を弾ませています。

これだけでは4コマ漫画としては、起承転結がなくおもしろみがありません。

しかし、「死まであと84日」と締めくくることで大きな意味を持たせていました。

84日後に死ぬということはワニくんは次回作を見ることなく死んでしまうということです。

楽しみにしていたことを叶える前に大切な人が亡くなる

実は、こういう例は現実でもよくある話です。

例えば、

  • 結婚式を楽しみにしていた父が娘の花嫁姿を見る前に病気で亡くなる
  • 一緒に甲子園を目指して野球を頑張っていた友人が事故で亡くなる

といったことを経験したことがある人は珍しくありません。

自分の死や大切な人の死を意識して生きる

人の命は有限です。

ワニくんの場合は、あと100日でした。

自分の命があと100日で終わるとわかっていたら、あなたはどんな生き方をしますか?

そんなこと普通は考えもしないですよね?

ワニくんだって100日後に自分が死ぬなんて想像もしていなかったと思います。

多くの人は重い病気や大けがでもしない限り、自分の死と向き合うことはありません。

人生まだまだ長いと思っていると大切なことを後回しにしてしまうものです。

休日であれば、テレビを見ながら、ぼーっと過ごしたりすることもあるでしょう。

私自身もだらだらと何もしないまま1日を無駄にしてしまうことはよくあります。

なんで、そんなに無駄な時間の過ごしてしまうのか?

それは、日頃いつ訪れるか分からない自分の死を意識していないからです。

100日後ではないにしても、早かれ遅かれ自分は必ず死ぬ。大切な人も必ず死ぬ。

そういうことを日頃から意識するだけで、行動が変わってくるはずです。

生きるということは命を削ることです。

「100日後に死ぬワニ」を読んで私は

1日1日を大切に生きることの大切さを学びました。

いつ自分が死ぬかわからない、いつ家族や大切な死ぬかわからない。

やや悲観的かもしれませんが、そういうことを意識してるだけで、1日1日を無駄にすることはできないと感じてくるはずです。

1日1日を大切にし、自分や周りのために生きていくことで、いつ死んでも有意義で悔いのない人生になります。